以前本欄で、「たった一人でいい」という主張を紹介した(2004年3月23日付)。それは、司馬遼太郎さんの講演録(朝日文庫)の言葉である。司馬さんは、栃木県益子町の益子焼を世に広めた陶芸家浜田庄司さんの例を取り上げて、地域を活性化するためには「たった一人でいい」と言い切っている。たった一人でも、もし力のある人が本気で取り組めば、地域の文化と元気が生まれるのである。
以来「たった一人でいい」という言葉を時々反すうする。司馬さんは地域の活性化を話題にしたけれど、人生についても、その同じ言葉が当てはまるのではないか。自分について、良い面も悪い面も知ったうえでなおかつ支援を惜しまない人、苦しいときや悲しいときにその本音をぶつけることのできる人、そういう人はなかなかいない。
もしそのような理解者がたった一人でもいてくれたら、その理解者を得た人は、人生の多くの困難に立ち向かうことができるだろう。ひるまずに挑戦することができるだろう。挑戦の結果がたとえ失敗であっても、その人の人生は充実していると言えるだろう。たった一人でいい。たった一人の理解者さえいてくれれば、その人の人生は輝くのである。
人生は、そのたった一人を得るための彷徨(ほうこう)である。その一人を得るのは、簡単なようで実はとても難しい。なぜそうかは、自分自身を振り返ればわかるだろう。自分自身が、他の人にとってのたった一人になかなかなれないからである。人は、誰でもそれぞれの人生を歩んでいる。自分の人生は大切だ。欲もあれば、計算もする。持っている力も有限だ。気持はあっても、人を理解し支援を続けることは難しい。他の人にとってのたった一人にはなりにくいのである。
多くの人は、たった一人の理解者、たった一人の友を得られずに苦しんでいる。歳をとって肩書きを外せば、なおさらそうだ。確かにたった一人を得るのはとても難しい。しかし誰か他の人にとってのたった一人になるのも、同様に難しい。もしそのたった一人になれるとすれば、その人は、人に元気を与えることができる。その人の人生は輝いている。「たった一人でいい」。含蓄のある言葉だと思う。
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