社長ヌカちゃんの部屋

論文

成長続ける世界の需要を取り込む―世界経済危機と日本の課題

(本稿は、時事通信社発行の「金融財政ビジネス」10月29日号「解説」欄に掲載されたものです)

額賀 信[ちばぎん総合研究所社長]

  米国の住宅バブル崩壊を端緒として始まった世界経済危機は、各国政府・当局の積極的な流動性供給や財政出動によって、恐慌への深刻化が回避された。しかし、クレジットクランチ(信用収縮)と大規模な雇用の削減による世界同時不況はいまだに続き、新たな金融の規制・監督の在り方もまだ議論の途上にある。そこで、今回の危機であぶり出された現在の世界経済の問題点を探るとともに、バブル発生の原因と再発防止策や、世界同時不況で深刻な打撃を受けている日本経済の新たな成長戦略について考えてみた。 


I 表面化した問題点

 

  問題点1 資本主義の限界

  もともと、資本主義には二つの大きな問題点があることが古くから指摘されていた。一つは格差の拡大であり、もう一つは過熱と恐慌という激しい景気循環をもたらすことである。

  このうち、格差の拡大という問題については、冷戦が米国の勝利で終わったことが大きな影響を与えた。格差を否定する社会では、働くインセンティブが落ちて経済が非効率になる。それが旧ソビエト連邦の崩壊の教訓として、強く印象付けられた。以来「結果として生じる格差については、それをある程度受け入れていくことが必要だ」という考え方が世界中で強まった。一方、激しい景気循環については、的確な政策対応で何とか切り抜けられるはずだ、と考えられてきた。

  冷戦終結後の世界経済は、単純化すれば、こうした共通の理解の下に運営されてきた、と言えるだろう。具体的には「人々の経済活動をできるだけ自由化することにより、経済発展の原動力としよう。そのためには、国の介入を減らして市場機能を活用しよう」とするのが、世界経済の潮流だった。

  ところが、世界同時不況が発生して「それにしても格差が大きくなり過ぎていないか。景気の振れも激し過ぎないか」というかねてからの二つの問題が改めて表面化した。しかも、自由な経済活動を推進してきた米国自身、今や政府の介入を高め、企業を国有化し、規制強化を検討せざるを得ない状況だ。そうだとすれば、自由な市場の機能に依存する資本主義そのものに問題があるのではないか、という疑問が改めて生じている。

  今回の世界同時不況は「自由な競争による発展」という資本主義の理念が徹底されたことが一因となって発生した。それだけに、資本主義は21世紀の世界経済をリードする経済理念として適当か、何らかの変容が加えられるべきではないか、という重要な問題を突き付けることになった。これらの問題は、現在「市場原理主義」批判という形で述べられることが多いが、社会主義が成功しなかった失敗の歴史を踏まえ、自由な市場が本来持つ優れた機能をどのように安定的に引き出していくか、そのために今後どのような分野でどのような規制が適切か、考える必要がある。改めて経済人の英知が問われている、と言えるだろう。

 

  問題点2 バブルは防止できるか

  今回の世界同時不況は、現象的にはバブル破裂の結果として顕現した。もしバブルを防止できないとすれば、その反動として発生する恐慌的景気悪化も防止できないだろう。その場合、問題点1で指摘した「過熱と恐慌」という資本主義の抱えている問題は、引き続き解消されないまま残らざるを得ない。それは、理念としての資本主義の適格性に、大きな疑問符を付けることになるだろう。

  バブル防止に関するグリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長の考え方はよく知られている。「バブルは破裂してみないとバブルだったかどうかは分からない」という前提に立ち「バブルでなければ破裂することはない。もしバブルであれば、放っておいても自然に破裂するから、その時機敏に行動すればよい。それ以前のところで政策的な介入をすることは不適切だ」というのが同前議長の姿勢だった。

  事実、2001年のIT(情報交換技術)バブル破裂の際には、米国金融当局はそうした考え方に立って対応し、混乱を最小限にとどめることに成功した。逆にその経験が過信となって、さらに大きなバブルが膨らみ、結局はそれが破裂して世界を巻き込む不況をもたらした。

  バブルを防止できるかどうかは、政策当局にとってとりわけ切実な問題だ。現在進められている対応策との関係で考えると、まずバブルは規制で防げるか、という問題がある。これは、規制が適切であったとすれば今回のバブルと世界同時不況は防げただろうか、という問題にも関連している。

  もう一つは、現在の不況はどれくらい続くのか、という問題である。主要国の政策当局は目下、政策を総動員して景気回復に努めている。世界景気も、小康状態を取り戻している。仮に、このまま緩やかに回復傾向が続くのであれば「バブルを事前に防止しようとすることに神経質になるより、むしろ破裂後に迅速な対応を取る方がよい」という考え方が再び強まる可能性がある。しかし停滞が、例えば二番底という形で長く続くとなると、バブル防止の必要性がより強く感じられることになるだろう。

 

  問題点3 多極化後の世界

  今年4〜6月期以降、世界経済の悪化には歯止めが掛かり、目下小康状態になっている。これには、各国政府による政策対応が一定の効果を発揮したという要因が強いが、とりわけ中国経済の回復が大きく影響している。今年に入ってからの経済をみる限り、世界経済のリード役は中国である。

  今や、米国と中国という「G2」の時代が到来しつつあるが、それが今後さらに中国の覇権につながっていくのだろうか。一方米国は、第2次世界大戦後幾つもの危機を乗り越えてきたが、現在進行中の世界多極化現象の中で、これまで示してきた圧倒的なリーダーシップの力を失い、ずるずると退潮を続けるのだろうか。

  この問題を考える上で理解しておかなければいけないのは、米国で現在傷ついているのは単に実体経済だけではないことである。「自由な経済活動を発展の原動力とする資本主義が正しく、米国はその推進者でなければいけない」という理念の面でも、実体経済と同様に傷を受けている。資本主義に対する疑念が、理念のリーダーとしての米国に対する信頼の後退につながっているのである。

  米国がリーダーシップを回復するためには、単に実体経済の回復だけではなく、そうした経済理念の側面まで含めて再構築を図ることが必要だ。米国のリーダーシップの問題は、資本主義が21世紀をリードする理念として適当かどうか、という問題点1と密接に結び付いているのである。

  しかし、理念の問題は、中国にとっても米国以上に重要である。中国はこれまで、経済的にはひたすら成長することだけを目指してきた。経済力の高まりを背景に、軍事力の強化も図っているが、世界でリーダーシップを取るためにはそれだけでは足りないことに早晩気付くだろう。多極化後の世界では、主要国は、理念の面でも激しいリーダーシップ争いを繰り広げることになる。

 

  問題点4 わが国の成長戦略

  第4の問題点は、わが国の問題である。小泉改革時代に実現したわが国の成長は、主として輸出によってもたらされた。今回の世界同時不況以降、わが国の景気の落ち込みは主要国の中でも相対的に大きかったが、それは過度な輸出依存が裏目に出たことが原因だといわれている。

  そのため、今後の成長戦略として内需主導の安定的な成長を目指すべきだ、とする声が強い。今回政権を獲得した民主党も、マニフェスト(政権公約)では明確な成長戦略を示していないが、折に触れて内需主導の経済成長を目指す意向を示している。

  しかし、人口減少社会に突入したわが国が、内需主導で安定的な成長を達成できるのか。今後わが国が成長を維持するために、どのような戦略が適当なのか。これも、わが国にとっては大変重要な問題である。

  以上の問題点は、既に多くの人々によって指摘されている。問題に対する解あるいは処方箋(せん)は決して一つではないし、今後の世界経済の展開の中で明らかになることが少なくないだろう。しかし、これまでの経験を踏まえると幾つか既に明らかになったこともある。以下、若干述べてみたい。

 

II バブルはなぜ発生したか

 

 3つの「戦争」での勝利
  以上提起した問題点に答えるには、バブルがなぜ発生したかという問題を改めて考える必要がある。今回、サブプライム住宅ローン問題の表面化を契機としてリーマンショックが発生し、クレジットクランチと大規模な雇用削減から世界同時不況に突入した、という経緯についてはよく知られている。ここでは、そうした経緯の解明とは少し視点を変え、1990年代以降の米国についてやや長い目で述べる。
  90年代以降の米国は、唯一の超大国として世界の覇権を握っていたが、それには三つの「戦争」での勝利が大きな影響を与えている。第一は、冷戦である。89年11月、ベルリンの壁が崩壊した。91年12月にはソ連が消滅し、冷戦での米国の勝利が決定的になった。第二は、湾岸戦争である。90年8月、イラク軍によってクウェートが侵攻されたが、翌91年2月には米国主体の多国籍軍がイラク軍を壊滅させた。第三は、情報戦争である。95年11月、米マイクロソフトの「ウィンドウズ95」がわが国でも発売されたが、それ以来パソコンとネットワークの新しい時代が開かれた。米国は、その情報戦争の圧倒的な勝者となった。
  この三つの戦争での勝利の意味を考えてみよう。米国は冷戦に勝ち、イデオロギー、理念の面で「資本主義は正しい。資本主義しかないのだ」という確信を強めた。また、湾岸戦争で勝ち、長い間傷となっていたベトナム戦争の後遺症を癒やすことになった。自分たちは局地戦でも強いのだ、という自信を取り戻したのである。さらに情報戦争で勝ち、グローバル化を推進する手段と実利を手にした。
  単純化すれば、米国は三つの戦争に勝って、自分たちは正しいのだという確信を強め、強いのだという自信を回復し、実利を手にしたのである。それが、米国のユーフォリア=高揚感につながった。同時に、世界中の資本が米国に集中するようになった。
  高揚感と大規模な資本流入が90年代以降長く続いたことが、バブルの根底にある。バブルは、決してサブプライムローンだけによって膨らんだのではない。時代の高揚感がバブルを促進したのである。
  以上の考察は、バブルは規制で防げるか、という問題を考える上で非常に重要だ。後講釈として「適切な規制がなされていたならバブルを防げただろう」と言うのは簡単だが、当時を振り返ってみると、自由な活動こそ正しいのだ、という確信を多くの人々が強めていた。そもそも、規制などとてもできる雰囲気ではなかったことを忘れるべきではない。
  また、大量の資金が怒濤(どとう)のように入ってきていた。そのような時に経済活動の一部を中途半端に規制しても、大量の資金は規制の乏しい分野に流れ込み、別のバブルを生んだだろう。バブルは時代の申し子である。そのような意味で、バブルを事前の規制で防止することは、現実には難しい。だからこそ、バブルが発生するのである。
  しかし、だからといってこれから考える規制が無意味、というわけではない。それは、規制を掛ける目的に関連する。バブルを防止するための規制というよりは、信用システムの傷をミニマイズ(極小化)するものとして、新たな規制を考察するべきである。

 

  中央銀行の役割
  バブルを防止する上では、中央銀行の役割が重要である。今回バブルを防止できなかった一つの要因は、FRBがバブルが破裂しても容易に対応可能と考え、大きく膨らむのを放置したからである。そもそもバブル防止の必要性を考えていなかった以上、バブルを防止できなかったのは当然の結果でもあった。振り返ってみれば、FRB自体がユーフォリアの埒外(らちがい)にはなかったと言えるだろう。
  しかし、金融政策による対応の問題点を、単にグリーンスパン前議長の個人的責任に帰することは適当ではない。金融政策の運営に当たっては、もう一つ重要な問題点がある。それは、中央銀行の政策目標である。
  中央銀行の政策目標は、これまで一貫して物価の安定であり、最も重要な判断指標となっていたのは消費者物価だった。資産価格は金融政策の直接の対象にはなっていなかったから、消費者物価が安定しているときに資産価格の上昇を理由とした引き締め策を実施しにくい事情があった。その意味で米国のバブルは、80年代の日本と基本的に同じ構図の中で膨張したことを指摘できるだろう。
  改めて、バブルは防止できるのかを考えてみよう。もちろんそれは簡単ではない。しかしバブルを防止するには、中央銀行が注意深く経済を点検し早めの対応を進めることが不可欠である。中央銀行にバブル防止の責任を義務付けることは、むろんできないだろう。中央銀行としても、過大な役割を押し付けられるのは迷惑に違いない。
  今回のバブルと80年代の日本のバブルが明らかにしたことは、中央銀行による金融政策の重要性である。中央銀行の役割は、バブルを防ぎ資本主義の円滑な機能や安定的発展を支える上でも極めて重要だ。これが、今回の世界同時不況で明らかになった重要な事実である。
  そのように考えると、日本銀行が06年3月に公表した「新たな金融政策運営の枠組みの導入について」で示した対応は大変重要だ。ここでは「発生の確率は必ずしも大きくないものの、発生した場合には経済・物価に大きな影響を与える可能性があるリスク要因についての点検」を一つの柱と位置付けている。
  バブルを防止するためには、中央銀行が丁寧な点検をし、それをしっかり受け止めるよう社会が成熟することが必要である。同時に、信用システムが致命的な傷を受けないように規制を考える必要がある。バブルの防止は簡単ではないが、そうした対応を一つ一つ積み重ねることが大切だ。

 

III わが国の成長戦略

 

  需要と供給の時間差問題
  前述したように、世界同時不況の発生以来、主要国の中でわが国の景気の落ち込みが大きかったことは、輸出への過度の依存が原因とされている。これが「内需主導の成長を図るべきだ」という意見につながっているが、はっきりしてきたのはむしろ外需抜きではわが国の持続的成長が難しいということである。
  4〜6月期の国内総生産(GDP)2次速報値も、まさにその事実を改めて裏付けるものになっている。実質GDPは、5四半期ぶりの増加を記録したが、外需が4〜6月期の成長を支えている。内需だけで国内経済を牽引(けんいん)するのは難しいことが示されているのである。
  人口減少社会に突入したわが国が成長を長期的に維持するためには、生産性の引き上げで対応すればよい、と考えられている。生産性引き上げ論は経済の供給側に着目した議論だが、人口減少が経済に与える影響を考えると、供給側のアプローチだけでは不十分で、需要側の重要性に注意を向ける必要がある。
  人口が減少し需要側の消費者が減れば、基本的には直ちに消費需要の水準が下がるのに対し、供給側で技術革新を実現するためにはどうしても一定の「懐妊期間」が必要だ。技術革新が実現するまでの間にも需要は減り続け、経済の活力を奪う。これを「人口減少社会における需要と供給の時間差問題」と呼ぶことにしよう。この問題があるが故に、人口減少社会では技術革新を待つゆとりに乏しいのである。
  現在の失業者の増加は、世界同時不況の影響を強く受けた結果ではあるが、人口減少社会では需要と供給の時間差問題から、需要不足経済に陥りがちとなる。その場合には、人口減少で人手不足が懸念されているにもかかわらず、逆に高水準の失業が慢性化する可能性が高い。
  人口減少社会で経済活力を維持しようとすれば、需要をどのように高めるかという需要側からのアプローチが不可欠である。生産性を上昇させるためにも、むしろ需要側に着目して市場の拡大を狙う方が有効だ。

 

  伸びる世界需要に適応せよ
  需要の増加に着目するならば、財政支出に依存するのではなく、世界経済への適応が不可欠である。世界経済は今、東アジアを中心に大きな成長期に入っている。その拡大する市場への適応力を高めることによって、需要の増加を狙うのである。製造業であれば、国際競争力を強化して輸出を増やす。非製造業も、体力に応じて海外に進出する。それぞれ対外投資も積極化させ、海外所得の増加を図る。
  拡大する世界需要の国内への取り込みも必要だ。具体的には、国際観光振興もその有力な手段となる。東アジアの国際観光需要は今後、爆発的に増加する。その消費需要を日本国内に受け入れ、市場の拡大を図るのである。つまり内需中心の成長ではなく、外需への適応力を高めることによって成長を狙うのである。
  もちろん、外需依存の成長にも問題がないわけではない。一つは、世界景気や為替の影響を受けやすいこと、もう一つは対外摩擦を引き起こすことだろう。しかし、世界経済の一体化は今後ますます進展する。そうした状況への積極的適応こそが必要だ。円高も、国民生活重視の観点からはむしろ望ましい。多少の世界不景気や円高にはびくともしないような企業、人材を育成するための環境整備・支援策が必要だ。
  他方、対外摩擦を防止するためには市場の開放が重要になる。農産物の自由化、対内直接投資を妨げている障壁の撤廃など、開かれた市場づくりを進めるべきである。
  成長のためには「内需主導」と内向きになるのではなく、世界経済への適応こそが肝要だ。世界経済は、長期的には必ず伸びてくる。その世界需要を輸出や対外投資、国際観光で取り込むとともに、立ち遅れているわが国非製造業の国際競争力を引き上げる。それこそが、人口減少に直面するわが国で成長を支える決め手となるだろう。
(本稿は、09年9月8〜9日に開かれた「経済物理学2009」での講演を基に加筆したものである)

●当ウェブサイトに記載されているあらゆる内容の著作権は、株式会社ちばぎん総合研究所及び情報提供者に帰属し、いかなる目的であれ無断での複製、転載、転送、改編、修正、追加など一切の行為を禁じます。

TOPへ