ヌカちゃんの部屋

論文

観光立国―日本の戦略を問う 訪日外国人数、高い目標を

(本稿は、8月18日付日本経済新聞「経済教室」に掲載されたものです)

額賀 信[ちばぎん総合研究所会長]

  昨年12月に概要が公表され、本年6月にその肉付けがなされた民主党政権の「新成長戦略」では、観光が「地域活性化の切り札」とされている。同時に、観光は需要面からわが国経済全体の成長を支える柱の一つとしても位置付けられている。「観光立国」の実現に大きな期待が寄せられている。その戦略の中心は、「訪日外国人を2020年初めまでに2,500万人、将来的には3,000万人まで伸ばす」ことである。では2,500万人の外国人が訪日すれば、地域は活性化し、日本経済は成長の起爆剤を得ることになるのだろうか。
  そこで訪日外国人2,500万人の経済効果を考えてみよう。観光庁はわが国の旅行消費額を推計している(08年度「旅行・観光産業の経済効果に関する調査研究」)。その計数を手がかりに、経済効果を試算できる。結論からいえば、2,500万人の効果がないわけではない。しかしその規模では、残念ながら力不足なのである。

  観光庁の推計によれば、国内の旅行消費総額は、訪日外国人による国内消費額も含め、08年度で23.6兆円である。その波及効果を勘案した付加価値誘発額は26.5兆円で、同じ年度の名目国内総生産(GDP)の5.3%を占めている。問題となるのは訪日外国人によるわが国での旅行消費額だが、それは23.6兆円の国内旅行消費総額のうち1.3兆円である。今後訪日外国人の増加によって伸びると期待されるのはまさにこの部分だが、どのくらい伸びて、GDPをどの程度押し上げるのだろうか。それを試算してみよう。
  試算の対象となった08年度の訪日外国人数は日本政府観光局によると777万人である。仮に20年の訪日外国人数が2,500万人になると、08年度の約3.2倍になる計算である。今、訪日外国人1人当たりの平均消費額およびその消費によってもたらされる付加価値誘発率(ここでは付加価値誘発額を国内旅行消費総額で割った値で試算)は変わらないとしよう。その場合には、1.3兆円(08年度の訪日外国人消費額)×3.2倍(外国人増加倍率)×1.12(誘発係数)という計算で、約4.7兆円の付加価値額が誘発されることになる。付加価値誘発額4.7兆円は、GDPの1%弱である。
  GDPの1%弱という数字は、微妙な規模ではないだろうか。今のわが国では1%の安定成長がなかなかむずかしい状況だから、4.7兆円はそれなりの力を発揮するといえないわけではない。しかし2,500万人まで伸びるには10年かかる以上、目標年次以前の毎年の寄与は、それをさらに下回ることになる。訪日外国人による国内消費押し上げの寄与は、絶対的な規模としては決して大きなものではないのである。
  もう一つ問題となるのは、訪日外国人の地域偏在である。宿泊旅行統計調査によれば、訪日外国人の多くは東京都を中心とする大都会に宿泊する傾向が強い。その傾向が続けば、地方経済への直接的効果はさらに薄れることになる。「地域」活性化の主たる狙いは大都市以外の地方活性化にあるが、こうした状況で2,500万人の訪日外国人が「地域活性化の切り札」となるのだろうか。
  もし観光庁の08年度推計が正しくて、かつ2,500万人の訪日外国人が確保できれば、それはある程度の力にはなるだろう。しかし地域の活性化には不十分、という結果になる可能性が高い。ましてわが国経済全体の救世主としては力不足なのである。では観光は、わが国経済の救世主にはならないのだろうか。

  以上の試算の最大の問題点は、「2,500万人」という目標数字が低すぎることである。日本政府観光局によれば、08年に国際観光客到着数が世界で最も多かった国はフランスで、その数は7,930万人。第2位以下は、米国(5,803万人)、スペイン(5,732万人)、中国(5,305万人)の順で、さらにイタリア(4,273万人)、英国(3,019万人)が続いている。このうちフランスとスペインは、国内人口を上回る国際観光客を受け入れている(09年版「国際観光白書」)。
  これらの国々の国際観光収入はまた、いずれも巨額である。世界最大の国際観光収入を得ている米国では、08年で11.3兆円を稼いでいる。以下、スペイン6.3兆円、フランス5.7兆円、イタリア4.7兆円、中国4.2兆円と続いている(国際旅客運賃を含まないベース)。同じ基準によるわが国の国際観光収入は、同時期で1.1兆円と中国の約4分の1にとどまっている。アジアの中では、中国だけでなく、タイ、香港、マレーシア、マカオ、インドにも負けている。
  GDPとの対比を考えてみよう。世界旅行産業会議(WTTC)は世界経済に対する観光産業の貢献度について、定期的に予測値を発表している。これによると、観光産業が世界全体で生み出す付加価値は、08年の世界のGDPの約9.9%に達すると見込まれている。
  この数値は、観光産業として定義された業界の生み出す付加価値であり、前述の国内観光消費が生み出す付加価値とは厳密には異なっており、しかも予測値だから実績値とは区別して扱う必要がある。とはいえ、一般にGDPに占める観光産業のウエートが、世界平均で約1割あり、その比率は概して先進国で高いことは広く認められている。そうした状況からすると、わが国の観光の寄与度はあまりに低い。そしてその基本的理由は、訪日外国人が極端に少ないことにある。
  わが国では、フランス、スペイン、イタリア、英国といった国々より、人口も経済規模も大きいから、国際観光が経済に対してある程度のインパクトを与えるためには、最低限、絶対数でこれらの国々の国際観光客数を上回る必要がある。つまり、1億2,700万人の人口を擁するわが国が、もし本気で「観光立国」を目指すのであれば、訪日外国人2,500万人では少なすぎるのである。あえて目標数字を掲げるとすれば、訪日外国人は、1億人を目指すべきだろう。
  もちろんその1億人は、直ちに達成できるわけではない。そこで中間目標として20年に5,000万人としてはどうか。その数字は決して夢物語ではない。
  世界観光機関(UNWTO)の予測によれば、国際観光客数は、10年に10.1億人、20年に15.6億人と、今後10年間で飛躍的に伸びる。しかもその中心は東アジアである。わが国を取り巻く東アジアの環境はここ数年劇的に変わってきた。何よりも中国をはじめとする周辺諸国の所得上昇が続いている。それは潜在的な訪日観光需要を急激に膨らませている。現に本年1〜5月の訪日外国人数は、前年同期比32%増の高い伸びを記録している。

  仮に訪日外国人5,000万人が実現すれば、消費額は前述の試算の倍になる。その場合には誘発係数はもっとずっと大きくなるだろう。なぜなら、外国人が宿泊するためのホテルやショッピングモールの新増設をはじめとして、大きな設備投資が誘発されると考えられるからである。
  そもそも、目標数字とは自然に実現できるような数字ではなく、工夫と努力の結果として実現できるものでなければいけない。そうだとすれば2,500万人はあまりに低い。1億人という目標を掲げ、その数字を本気で目指すことを国民が確信したとき、投資が本格的に動き出す。
  日本は、わが国国民が思っている以上にすばらしい国だ。海外の人々は必ず来る。「20年に5,000万人、将来的には1億人」という目標を掲げて誘致に励み、受け入れ態勢を整えれば、観光は、日本経済だけでなく、日本社会を変える力を発揮するだろう。

               

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