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寄稿記事

「出遅れ」が問う金融政策の妥当性【日本経済新聞[エコノミスト360°視点]】

(日本経済新聞 2022年9月2日号朝刊に掲載)

前田 栄治[ちばぎん総合研究所取締役社長]

 世界的な物価上昇が内外の金融政策運営の難しさをあらわにしている。米欧では政策変更を意図的に遅らせる「behind the curve(出遅れ)」の戦略も、10%に迫るインフレ高進を招いた一因のように思える。

 たとえば米連邦準備理事会(FRB)は2020年夏に金融政策戦略を修正し、平均インフレ目標を導入した。10年代は米欧でもインフレ率が目標を下回り、コロナ禍もあって日本のような低インフレの長期化を警戒。インフレ率が2%目標を下回り続けた後には上回ることを許す緩和的な政策運営、いわば「出遅れ」が望ましいと考えた。

 インフレの高まりは戦略の奏功といえなくもないが、予想外の資源高やコロナ禍の供給制約と重なり、むしろ現在はインフレ抑制に苦労している。平均インフレ目標の是非は現時点で判断し難いが、現実のインフレ形成は理論上よりも複雑で、金融政策運営には柔軟さも求められる。

 一方、日本の物価上昇は2%強と米欧に比べかなり低く、再び低下する可能性も高い。景気回復の遅れもあって「出遅れる」余地は大きいといえるが、海外発の物価上昇は日本の金融政策の枠組みの妥当性に疑問を投げかけた。

 第一にイールドカーブ・コントロール(YCC=長短金利操作)の妥当性だ。今回の経験は世界的な高インフレと高金利のもとでは、長期金利の円滑な誘導が難しいことを明白にした。日銀が大量の国債を買い入れて長期金利の変動抑制を優先すると、為替相場の変動が大きくなった。結果として企業の意思決定の不確実性を高めた面がある。

 そもそも本来は市場形成にゆだねるべき10年という長い金利の誘導について、バーナンキ元FRB議長は近著で疑問を呈した。10年後までの物価や短期政策金利に関して、市場が上昇すると信じた場合には誘導目標との整合性を失い、中銀の政策が信頼されにくくなるためである。

 また日本でのYCC導入は、マイナス金利によって10年超の金利までが下がり過ぎ、年金資産などの運用に支障となる副作用を意識したものだった。超長期金利が明確に上昇した現在はこの点からも見直す余地が生じている。

 第二に2%という物価安定目標の妥当性である。国民の反応を見る限り、日本では異次元緩和が始まり10年近くを経ても、インフレ率2%は安定でなく物価高と意識されているようだ。

 日銀は2%目標を維持してもよいが、政府・日銀の共同声明に示される「できるだけ早期に実現する」という方針には再考の余地がある。まずは1%程度の定着を実現したうえで、賃金上昇などとのバランスをみながら時間をかけて2%の定着を目指していく方針を明確にすべきだ。

 資源高や円安の今は、2%目標実現に向けて千載一遇の好機との見方もあろう。しかし日本の場合、2%インフレと整合的な賃金上昇の定着にはかなり時間がかかる。異次元緩和の効果と副作用、2%実現に向けた望ましい物価の経路と金融緩和のあり方などについて、そろそろしっかり検証すべきではないか。

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